自分を理解する事は他人を理解する事。宗教が違っても一人の人として思いを馳せることの大切さ

ギリシャ、アテネの教会

 

宗教ってなんだか分からなかった

海外に行くと、

キリスト教が広く普及している国に

滞在することが多くあります

アルバニアの渓谷に佇むマリア像

アルバニアの渓谷に佇むマリア像

ギリシャ、アテネの教会

ギリシャ、アテネの教会

今まで行った中でも、

アメリカ、ドイツ、イギリス、オランダ、

スウェーデン、ベルギー、フランス、

スリランカ、アルバニア・・・

 

宗派は様々なれど、

キリスト教は世界中、

多くの国で侵攻されていますね

 

また、キリスト教といえば、

私が20歳の時に会った、

あるエチオピアの子から言われた言葉が

今も印象的に残っています

 

「神様とか宗教って、トシコの人生には

関わってこなかったものなのかもしれない

 

でも、宗教が、

人の命を、人の生き方を救うこともあるのよ」

と、

 

そのときは、

ああそうなのか、そういうこともあるのか

と、

わかったような、わからないような感覚でした

そりゃあ極度に貧困が進む国や、

長い戦争の歴史がある国では

確かに精神的支えって必要になるよね、

だから宗教って求めるよね

 

という感じで中途半端に、捉えることしか、

当時の私にはできなかったようです

エチオピアの友人、ヨルダヌス

エチオピアの友人、ヨルダヌス

 

でも、とあるきっかけで

クリスチャンである母の人生に

思いをはせた時、

本当にその宗教って、

その人の全てに

なりうるのだなと感じました

母にずっと求めていたもの、母が与えてくれていたもの

私にはキリスト教の

「神様を信じることによって救われる」

の意味が分かりませんでした

 

 

そして、この言葉は

幼い時から母からずっと、

何回も聞いてきました

 

でも、どうしても、

飲み込みたくない

納得したくない言葉でした

 

 

私は、学校で何か嫌なことがあったり、

どうしようもない友達関係で

思春期を過ごしている時

 

母に何かを聞いて欲しくて

色々と話し、打ち明けても

 

「神様が何とかしてくれるから、大丈夫」

 

「神様が応えてくれるから、神様を信じなさい」

 

と言われていました

 

私は、

「神様とか関係なしに、

私は、母である、あなたに

全力で私に向き合って欲しいんだ!!!」

 

という思いをもっていました

 

どこかで、

キリスト教というものが、

私から母を奪っているような

そんな感覚さえあったこともあります

オランダ、アムステルダムの教会内

オランダ、アムステルダムの教会内

 

でも、最近になってやっと、

母の言葉の背景を

理解することができました

 

 

 

それは、母自身や、母のマインドを、

 

「キリスト教徒」

としてみるのではなく

 

「一人の人間」

 

として見たのです

 

どういうことかというと、

 

母は何か過去に辛いことがあって、

そのときに母なりに信じるって決めたのが、

イエス様だったんだろう
母は、一番きつい時に

イエス様を信じることで

乗り越えてきたんだろう

 

だから、イエス様を信じることが、

私にとって最善の選択だと思ったから、

だから「イエス様が何とかしてくれる」

といっていたのだろうか

 

ああ、母も弱かったんだな

 

きっと、

母なりの子供への一生懸命の言葉が、

「イエス様を信じなさい」

ということだったんろう

 

この言葉は、

母が、自分の信念を信じるための

言葉だったんだろう

 

決して、私を突き放そうと、

放っていた言葉ではなかったのだ、

 

と思ったのです

images-2

 

そこには、クリスチャンとしての母ではなく

私が愛を求めたい母でもなく

親孝行をする対象という母でもなく、

「一人の人間」としての母がいました

 

 

いい諦めがついた

 

母を今までの表面上の対応からではなく、

固定された宗教観をもつ人間としてでもなく、

私と同じ、人生を生きてきた人

と捉えたのです

 

いい意味で、うわべだけを見ることに

諦めがついたのです

 

そういえば、

「諦める」のもともとの語源は、

事情、背景などをはっきりさせる意味の「明(あき)らむ」

なんだそうです

 

 

この人は「こういう人!」

という規定概念ではなく、

一人ひとりがもつ、

尊い弱さや、強さや生き方、

その背景や歴史に思いをはせることによって

見えてくるんですね

 

もしも、あなたが、自分自身を

「私はこうであるべきだ」

という概念を持っていたり

自分に自信がなかったりすると、

もしかしたら

残念ながら、

この見方はできないかもしれません

 

なぜなら、あなたが自身が、

自分のことを

一人の人間として

とことん理解していないから

 

あなたの周りの人を

もっともっと理解するためにも

自分とじっくり向き合ってみませんか

 

あなたはきっと誰かの

一生懸命に生きたいというDNAを

しっかりと、確実に

受け取っているはずなのですから

 

give-and-receive1

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です