固定観念はあっていい!流されない自分の軸をもつ事がより大事な理由。アルバニアで会ったとあるカナダ人の話


「自分の正気を保つ為に、自分の軸をもちたい」

そう思った、2017年元旦でした

 

昨夜、今年2016年の

プレイバックなどをテレビで見ていました

 

一晩置いて、今日、

昨年の出来事の中で自分にとって

何が一番インパクトがあったかというと、

「トランプ大統領の誕生」

だと思いました

 

 

固定観念に基づいて

感情的になった人々が行動した結果の

最も象徴的な出来事だと思ったからです

 

以前の記事で、ラベルや固定観念に頼らず、

自分自身が経験してきたことを元に

自分自身の軸を通して世界を見てみること

トラウマとか、精神的な症状とか

自分でつけているラベルを剥がして、

そのラベルの下にあるものを

自分の目で見て真実かどうかを

疑ってみることが大事だと書きました

(以下がリンクです)
https://toshiko-abe.com/2016/12/30/valalearnings/

 

では、そもそも、固定観念って何でしょうか

固定観念を持つということはどういうことか

高校生のときに海外にホームステイに行ったとき、

以下のようにアドバイスをされたことを覚えています

「固定観念を捨てて、現地の人とかかわりましょう」

 

でも、当時私はその意味が分かりませんでした

「私が持っている固定観念って、何?」

そして、

「なんでそれを捨てなきゃいけないの?」

と思っていました

 

みなさんはどう思いますか?

 

固定観念って、

「無意識に行動を決める特定の見方」

ということだと理解しています

 

これって、そもそも、

その人のその人たらしめる考え方や

価値観の延長線でもあると思うのです

 

その見方や考え方が

対外主義的だったり、

特定の人や

物事を蔑むような見方だったとしたら、

「差別」

と呼ばれると思うのです

 

私は、固定観念って

捨てられる物じゃないと思うんです

 

だって、その人が

やっとこさ形成してきた考え方なんだから

 

海外の人と交わるときに、

固定観念を捨てるよりも

「自分、こんな考え方をもっていたんだ!」

と、それを自覚することが

まず大事だと思います

 

 

アルバニアで会った、カナダ人のバックパッカー

アルバニアの北部の渓谷が大変美しいと評判で、

自然好きな私は、その渓谷をボートで周る

クルーズのツアーに参加しました

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その時に同じツアーに乗ってきたのは

私を含め合計4人

 

カナダ人の男性、27歳のバックパッカー

オーストラリア人の60代の夫婦

旦那さんは大学の地理学の教授

奥さんは自然食を広める活動をしている方でした

オーストラリアの奥さんと

オーストラリアの奥さんと

現地のお食事つき

現地のお食事つき

カナダ人の男性はボートに乗る前の

車での移動から喋り通しでした

始めは、

よく色んな事を喋るなーと思って

聞いていたのですが…

 

途中から、

「うん?」

と思うようなことを

言い出すことが多く感じました

 

「オレの出身のトロントは

世界で最も物価が高いんだ」

 

「この国の人は超優しい人たちばかりだった」

 

「この街の人は無愛想だった」

 

この人は20カ国ぐらい訪れたらしいんですが、

彼が話す時、

「それ、ケースバイケースでしょ?」

ってすぐ思うことでも、

ひとまとめにして

「この国はこういうものだ」

と決め付けて

それを前提に話を進めるのです

 

彼は、オーストラリアの旦那さんが

地理学の教授であると知らなかったので

 

勢いに任せて

「ここは気候が良くない」

なども平気で言ってきます

 

カナダ男性
君の生まれた町の物価はどうかい?
カナダ男性
野菜はいくらぐらいだ?

 

わたし
・・・・いや、そんなん、スーパーごとによるし、季節ごとによるし・・・

とかいうと

カナダ男性
いや、日本ならこの位だろ?

 

とか

日本に来たこともないのに決め付けて

話をどんどん進めるのです

 

そして人の話すことに聞く耳を持たない

私は聞いているんですが、

会話しているというより

彼が自己満足のために

話しているだけのようなで、

なんだか私は変な感覚をおぼえました

 

 

もう、途中から私もオーストラリアの夫婦も、

呆れて聞く気が失せていました

クルーズは美しかった。セルリアンブルーの河の色

こういうカナダ人のような人、

旅をしていると、実は、よくいるのです

 

それはおそらく、旅をしていると

なかなかスムーズに英語で

人と話す機会に恵まれないということと

 

旅をしている時の開放感から、

話したいだけ話してしまいがち

ということもあると思います

共通の友達もいないし、

一度きりの機会なので

変に気を使う必要も無いですしね

 

今までも

自分が訪れた国の数を自慢気に話してくる人

 

私がこれから行く国のことを

「私のために」というつもりで、

自分の話したいことだけを話す人

 

短期間でどれだけ早く、安く回れたか自慢をしてくる人

 

世界何週目だと何回も協調してくる人

 

・・・

 

こういう人たちがいるんです。

本当に呆れるほど。

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固定観念は捨てられるものではない。認識することが先

カナダ人の男性のような人は

どこの国に行ってもきっと、

考え方は変わらないんだろうなーと思います

 

なぜなら、

固定観念から世界を見ているということに

気付いていないから

 

旅していて、いろんな人と話す時、

自分の固定観念から物事を見ることって

とっても楽なんです

 

自分がわからない世界のことに

思考を巡らせる必要がないから

 

自分が知らないことがあると

恥ずかしいと思うから

自分が思っていることが

正しいと信じたい、

間違っていたくない、

自尊心を傷つけたくないから

 

そして、

自分が今まで造りあげてきた考え方が

絶対のものではないことに

気付きたくないから

自分のなじみのある考え方以外を受け入れて

そこで、どうやって、

自分を出して

生きていけばいいのか分からなくて

とっても不安だから

 

だと思います

 

 

「あたりまえ」の基準で見るよりも、「人」を見る

上記のカナダ人の男性が、

もしもやりとりの中で、

 

「え、季節によって野菜の値段が変わるの?」

とか、

私の発する言葉に興味や疑問をもってくれていたなら

少しでも感心をもっていてくれたなら

もう少し仲良く慣れたかもしれません

 

 

自分が決めた、ラベルを貼って人を見るより、

その「人」自身を見つめるほうが、

ずっと、きっと

刺激になることや

新しく発見することがあると思います

 

その方が、きっと人と関わる上でも

楽しいのになぁ、と思います

 

物事を自分の判断基準で捉えていたら

どこに行っても何をしても、

同じものしか見えないのではないか、

と思います

 

そして

自分の型にあてはめてみて

自分と違う、

自分の考え方と合わないからといって

相手とのコミュニケーションの芽を

自ら摘んでしまっては

人間関係をつくる可能性をつぶしてしまうことも

実際にありえるということです

 

とても悲しいことですが

固定観念に頼らず、感情に流されず、自分の意志をもつ

固定観念は誰もが持っているものです

それはそれでいいと思うのです

 

でも大事なのは、

 

自分は固定観念を持っていると認識すること

固定観念に流されないこと

そして、

自分の軸を持って、

固定観念に頼らないこと

 

ラベルや思い込みの元に行動するのではなく

自分の意志を元に行動することが

とっても大事だと思います

 

韓国のパク・クネ大統領に対する

大規模デモが連日報道されていました

そして、トランプ氏の選挙運動中に

有色人種やイスラム教徒に対する

差別的な行動も全米で発生していました

 

この行動って、みんなが皆、本当に

それをやることが

「真実だ」

と思ってとった行動でしょうか?

 

 

私は違うと思います

 

私にはこれらの行為は

感情的なうっぷんを

日ごろの自分のストレスのはけ口を

調度よくぶつけたいがための

幼稚な行為に見えました

 

政治的汚職の発覚や

自分のうっぷんを晴らすことを正当化するような

政治的リーダーの台頭を

ちょうどよく自分の為に利用している

という風に見えました

 

感情に流されて、自分が楽なように

物事を都合よく捉えて、

「だれか」と共に

もっともらしい行動にでる

 

「汚職反対!退陣要求!」と言う名の

いかにも「白」を主張する傘の下で

大規模デモに参加し

日ごろの自分の膿を出そうとする

 

民主主義の象徴的活動であるはずの選挙は

人々の不満をぶつけるストレス解消の場と化す

 

このような誰かに貼られた、

もしくは自分で貼ったラベルと

感情に任せた行動をしていったら、

もはや人間はロボットや、

本能のままに生きる動物と

大して変わらなくなってしまうのではないか

と危惧しています

 

周りの意見に流されて、

感情の任せるままに動き、

不満を発散し、

誰かに解決してもらおうと待っている

 

このような動きの中に、

私達一人一人の人間性や

個性の素晴らしさを

垣間見る瞬間がありますか?

 

もし、

人間性が必要のない世の中を作りたいのならば、

それは機械が作り出す世界と同じです

 

{誰かが喜ぶために行動して、自分も幸せの感情を得る}

 

これは人間にしかない感情だそうです

衝動的感情で、

周りに流されて動いてつくる社会より、

自分の軸を元に

自分の目的のために動く力でつくる社会の方が、

ずっと面白くて活発な気がしませんか?

 

 

昨年101歳で亡くなられたジャーナリスト

むのたけじさんは以下のような言葉を残しています

混沌の時代に、私達の確かな羅針盤を持ちたい

自分の意志で、選択肢を選び取り

自分で正解を決めきって生きていく力を

一人ひとりが持ちたいものだと思います

自分にとっての正解が、

たとえ

他の誰かにとっての正解じゃなくても

 

 

私もこの一年、

自分の中にあるラベルや固定観念を見直し、

「それって真実か?」

と問い続けて、

自分らしい正解を生きていきたいと思います

 

ここまで読んで頂いてありがとうございました

皆様、素敵な一年をお過ごしください


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