スマホやフェイスブックで
ニュースをなんとなくみたり、
テレビをなんとなく見ちゃって、
あっという間に時間が過ぎている時ってありませんか?

私はつい最近までありました・・・
気がついたら
1時間、2時間と時間が過ぎて、
あ、今日やらなきゃいけないことなんだったっけ?
なんか色々みていて疲れちゃったし
また明日やればいいや・・・
みたいな習慣がありました
でも海外に出てみて、テレビや
ネットが繋がっている
パソコンやスマホがない状態を体験して、
とあることに気付きました
それは実は、私達の時間の使い方や
疲れ方にも大きく影響するものでした
海外で感じる新鮮なこの感覚は・・・なぜ?
旅行でも留学でも、ホームステイでも
なんだか開放的というか、
新鮮な気分になる、そんな経験ありませんか?
私は高校のときにはじめて海外に行きました
アメリカロサンゼルスのご家庭に
1週間のホームステイをしました
その時に、
異国であり言葉が異なるということ以外に、
日本では味わえない、なんだか新鮮な感覚に
なったことを覚えています
また、7ヶ月間世界旅をした時も同じでした
その感覚は、いったいなんだろう?と
帰国後、振り返ってみて、
その理由の中の一つに
メディアの存在があることに気がつきました
テレビ、新聞、ラジオ、
電車の中で見る広告等、
日々自分が触れる、メディアの量が
海外に行っていた間、
圧倒的に少なくなったということです
例えば、英語も通じない異国にいるということで、
日々、過ごすことにエネルギーを使います
ホステルなどに帰ったら
疲れていてすぐ寝てしまっていました
おきていてもスマホなど見ず、
同じ部屋の子と話して盛り上がったり・・・

目の前の人と関わる時間が多かったので
(私の場合は)
自分でメディアをチェックする時間も
日本にいるときに比べて極端に減っていたのです
情報、メディアは使いよう
海外に行くとメディアの情報に
さらされる時間が少なくなると思います
ホステルには
どこにでもテレビがあるわけではないです
インターネットのスピードがものすごく
遅かったり、途切れてしまったりもします
電車の中も、日本のように中吊り広告が
いっぱいあるような国はありませんでした
また、広告等、メディアがあったとしても、
私達が理解ができない言語なので、
注意を引く力がぐっと低いように思います
海外から戻ってきたとき、
日本の電車の中が感覚的に非常にうるさく
不快に感じたことを覚えています
成田空港のお土産やさんなどは
案内や、広告でいっぱい

空港から京成電鉄に乗った時、
中吊り広告、駅のポスター、
窓に張られたちいっさい広告など、
自分が気に留めるもの、
気を留めやすいものが沢山あって
そこにいるだけで疲れてしまう感覚がありました
外を見ようとしても、
ちょうど目線の高さに広告があり、
とてもわずらわしく思いました
まるで、静かな部屋で
静かに風の声とか鳥の声とかを
楽しんでいた人が
騒音がひしめく
渋谷のスクランブル交差点に
いきなりポンッと身をおいたような感じです

「みて!みて!こっちみて!」
「これ、そこアナタ、やらないとまずいよ!」
「今のままで大丈夫!?
このやり方ならばっちりだよ!
お問い合わせはここへ!」
みたいな、広告の主張が
とってもうるさく感じました
こんな中にいたら、
気を散らす要因がいっぱいあって、
なんだか、電車の中でいるだけで
疲れてしまうのも当たり前なんじゃないか?
こんなうるさい電車で通っていたら、
気付かないうちにだけど、
そりゃぁ朝からぐったりするよ・・・
と思ったのでした
情報で自分をうっかり疲れさせない
情報は私達の生活を豊かにしてくれますよね
でもその半面、とり過ぎたり、
周りにいいっぱいありすぎると、
迷ってしまいませんか?
そして、疲れませんか?
人は選択肢が増え、決断する機会が増えるほど「迷い」が生じ、ウィルパワーを失っていく
と、メンタリストのDaigoが
著書で述べていました
つまり、色んな情報がありすぎるから、
注意を引かれるから、迷ってしまう
そして、判断力や思考力の源である
ウィルパワーが減って、疲れてしまう・・・
情報は私達を元気にする力もあれば、
不安にさせ、疲れさせる力もあるんだなぁ
と思いました

情報にの洪水に飲まれて、
あなたらしさを発揮しないままに
疲れてはもったいないです!
情報に疲れさせられ、使われるのではなく
情報を意図的に使っていきましょう!
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