一瞬で崩れ去った私の自信
私は高校卒業後、アメリカの大学に進学しました
英語を話して通じたときの喜びと
違う価値観や言語への好奇心から、
高校のときに英語を一生懸命勉強して、
アメリカ中西部のワイオミング州
の2年制大学に入学しました
このへんです↓

アメリカの大学に入ったとき、
色んな日本人に会いました
私は日本人とばかりいたら英語が上達しないし、
アメリカまで来た意味もないと思い
あいさつ程度はするものの、
一緒に食事をしたり
週末を過ごしたりはしませんでした
そして、日本人同士でうわさを広めあったり、
お互いの悪口を言っていたりして
しょうもない行動が
目に見えていたことも理由です
他の留学生やアメリカ人の友達と
多く時間を過ごす方が、
私にっては新鮮だったし
悪口を言い合うよりも、
ずっと楽しかったと思います

アメリカ人の友人ネイソンと、彼のお母さんが教える小学校で
そして
「日本人はグループを作って
集団行動ばかりしている」
という、アメリカ人から見た
日本人への見方が既にあり、
そんな固定的な見方を払拭したくて
私は勉強に、課外活動に、
ボランティアに生徒会活動に精を出しました
(大学の生活を充実させたくて
興味をもったこともありますが)

インターナショナルナイトという、留学生が出し物をするイベントの企画後の写真。中央が私
半年ほど経った後、
さらに多くの日本人が入学してきました
そこで、メキシコの友人から、
日本人たちが私のことを
馬鹿にしたような悪口を
言っているのを何度か耳にした
と聞きました
私はそれを聞いて、
すっごく悔しくて
自分にふがいなさを感じて
すごくショックで
今まで勉強やらなにやら
頑張ってきた努力が
なんだか
水の泡になったような気持ちになりました
張り詰めた糸が切れたように
泣き出しました
涙が止まりませんでした
彼らが私のことを
よく思っていないことは
分かっていました
そして私も、
彼らのことを良くは思っていなかった
彼が陰口、悪口を言うのは
彼らのやりそうなことだ
気にしてもしょうがない・・・
と受け止めることもできましたが
なんだか、そう受け止めることができず・・・
自分でもなんで泣いているのか分からず・・・
でも自分でもんもん考えていました
でも、一人で考えていても
ぐちゃぐちゃした気持ちを
心の中においておいても気持ちが悪いので
それを、よくお世話になっていて
お姉さんのように慕っている
心理学の教授、スーザンに話しました
スーザンも、
日本人がよくグループで一緒に行動して、
彼ら独自のコミュニティがあることは
知っていました
代々、入学、卒業する日本人が
大半が同じように振舞うからです
心理学の授業のテストでも、
過去の試験問題の回答が出回っていて、
勉強しなくても
試験でいい点を取っている、
ということも知っていました
私は日本人に悪口を言われて
ショックを受けて
どうしたらいいのか分からないと、
戸惑っているぐにゃぐにゃした気持ちを、
スーザンには言いました
すると彼女は、
「トシコ、自分に自信を持ちなさい
あなたはあなたが思っている以上に
素晴らしい人なのよ
そんな悪口気にすることないわ」
と
スーザン、
言いたいことは分かるんだけど、
それでも
自分に自信を持つってどういうこと?
当時の私にはさっぱり分かりませんでした

スーザンと私
でも時が経って、
その時なぜ私が崩れていったのか分かりました
私は他人に
自分の自信の根源を頼っていたからです
他人軸で見てる?自分軸で見てる?
私は勉強や色んな活動を頑張り、
私は周囲からの一定の評価を受けていました

活動したときの終了証や成績優秀者に送られる表彰状の数々
大学内でもみんなに顔を知られていて、
私が知らない生徒や先生、用務員さんからも、
トシコ、トシコと呼ばれていました
いい成績も収めていたおかげで、
返納不要の奨学金も大学からもらっていました

成績優秀者がもらえる、卒業式でつけたタッセル
その現実があって、
私は自分は素晴らしい
と思っていたのです
つまり、外の世界、
他人から、私への評価が良いものだから
そこで私が私に対して
「よし、うまくやれている」
という、見方をしていたんだと思います
そこで、日本人からの悪口を言われ、
こんなにあっさり崩れ去る自分に
自分がびっくりしました
でも、後々になって、
はっきり分かりました
私は自分の自信を
自分で作っていたのではなく、
他者の見る眼を通して
自分を見ていたんだと・・・
他人軸に頼って
自分に自信をもっていたんだと・・・
だから、スーザンに
「自分に自信を持ちなさい」
といわれても、
どうやってもてばいいのか
かいもく分からなかった
自分が見ている理想と
現実のギャップを感じて
自己イメージが急落したんです
自分が大切にしたものがあればそれで良い
私はこの二年制大学を卒業後、
オレゴンの大学に3年生として編入しました
そこには友人も知り合いも誰もいません
創ろうとしても、ワイオミングの大学のように
全くうまくいきません
すでに2年間、一緒に皆過ごしているので
もう既に入っていく隙がありませんでした
編入先の大学で全く友達ができず
勉学もレベルが一気に上がり、
私の自己肯定力は
どんどん落ちていきました

編入先のオレゴンの大学
誰も自分のことをわかってくれない
自分は論理的に筋の通った論文がかけない
気を許して話せる相手もいない・・・
ものすごく落ち込みました
軽度のうつだとも言われました
休めとか、
自分の好きなことをしろとか言われても
変わるわけないと決め付けていました
そんなことよりも勉強が大変。
課題に追われ、毎日図書館に通い詰めでした
もう、自分が何をやりたいのか
分からなくなりました
なんでアメリカきたんだろう・・・
あ、そうか、なんでだったっけ・・・
自分がなんでアメリカに来たのか、
思い出し始めました
色んな価値観を知りたい
体験したい
この経験もその一部なんだ
今は辛いけど、
その経験の真っ只中にいるんだ
辛いけど、
辛い辛いっていっていても変わらないんだ
この日々の中にも、
何か私がワクワクできることはないのか・・・・
そう思った私は、課題を行うときに
ただ資料を読んだり、
思ったことを書くのではなく
興味がある方向性から資料を読んだり
論文を書くときに、
日本からの視点を混ぜたりしました
そうしたら、自分が
「これ、面白いかも!」
と
自分の目線で
新しいことを学ぶ面白さを
発見できたことがありました
大変さの中にも充実感がありました
一歩一歩でしたが、確実に。
あなたにしかできないこと
自分をウキウキさせることができるのは
自分だけです
自分のために、時間や行動を
使っていくのもほかならぬ自分です
そして、それは逆境にいるときにこそ、
発見できるものだと感じました
あなたが大切にしたいものはなんですか
あなたの軸は、どんなところにありますか
職業になるとか関係なしに、
肩書きも
年収も
家族の役割もない、
まっさらな状態であったとき
自分は何を大切にしたいのか
それはあなたにしか分からないことです
そして、その大切にしたいことで
他の誰かの役に立てる人は
あなたしかいません
自分の感じるワクワクで
大切にしたいものを見つけて
自分の軸を見つけて
社会にさらして、
受け入れて
磨いて
育てていく
貴方にしか発せられない言葉で
他の誰かが助けられたら
こんなに嬉しいことはありませんよね
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